快闘キッドのメモ帳

文学作品や自分で翻訳した訳のメモ帳なのだ

ディケンズのThe Trial for Murderの翻訳

The Trial for Murderの翻訳がようやく終わった。

今回初めてディケンズの翻訳に挑戦した。
長編作品を翻訳するほどの暇がないので、
Dickensの Short Storiesに収録されている「The Trial for Murder」を選んだ。
http://www.keframacollege.org/library/Dickens-Short-Stories.pdf
ところが!
翻訳を開始したところ、初っ端からつまずいた。
何が言いたいのか分からない・・・・orz
とりあえず、一文ずつ可能な限り忠実に訳すことにした。

このままでは何が言いたいのかさっぱりわからなかったので、つじつまが合うように日本語表現に言い換えた。
原文の直訳ではなく、私の言葉に言い換えた。


殺人事件裁判  チャールズ・ディケンズ  翻訳 快闘キッド

どれほど高い教養・文化を身につけた人々でさえ、自分たちが話す内容が心的な現象の場合、誰にでもみられる勇気の欠如を私はいつも気づいている。ほとんど全 ての人は自身が話す内容が心的な場合、聴衆に共感も賛成もされず、怪しまれたり笑われたりするのではないかと恐れてしまう。正直な旅人は、ウミヘビに似た とんでもないほど奇妙な生物を見たことは躊躇いなく話すだろう。しかし、同じ旅人でも、なんとなく尋常ではない胸騒ぎや衝撃や、気持ちが普通とは異なる (いわゆる)幻想や夢などや、とんでもなく異常な精神状態を経験した時には、その内容を話す前までは非常に躊躇うだろう。私はこの躊躇いの所為でその話が 随分曖昧になってしまうと思う。我々は誰もが分かるような客観的な内容なら普通に話すが、自分にしか理解できない主観的な内容は普通話そうとしない。結果 として、この主観的な経験が多いということは例外的であり、それがひどく不完全であるという点も例外的である。

私がこれから話す内容に、私はいかなる理論を展開もしないし反対もしないし支持もしない。私はベルリンの本屋の秘密の歴史を知っている、そしてデイビッ ド・ブリュースター卿によって述べられた王立(エジンバラ天文台長の奥さんの事件を調べているし、私の友人たちのサークルで起きた幽霊遭遇事件よりもっ と有名な事件をこと細かに調査している。この最後の事件について、どれほど遠い血縁関係だとしても、その被害者(ある女性)は私とは全く関係がないことを 述べておく必要がある。その見出しに対して間違った憶測をされると、私自身が経験した、全く根も葉もない事件の一部--ほんの一部だが--の説明と思われ てしまいかねない。その話は私が進行性の特別な遺伝疾患を患っているからではなく、今までに同じような経験をしたこともなく、それ以後も全く経験したこと もない。

イギリスで非常に注目された殺人事件が起きたのだが、それが何年前のことだとかつい最近のことだとかはあまり意味がない。非常に残虐な事件が次から次へと起 き、私たちは殺人者たちの話を嫌というほど耳にした。殺人犯の死体が埋められているように、私はできることならこの異常な人でなしに関する記憶をニューゲ イト監獄に埋めてしまいたかった。私はこの犯罪者の個人情報が直ぐに分かってしまうような手掛かりに関しては敢えて差し控えることにする。

その殺人事件が最初に発見されたとき、後に裁判にかけられる男に関しては何の嫌疑も掛けられていなかった。--さもなければ、事実私は何も知らないのだか ら、私には公的に疑われることは何も無かったと言うべきであろう。--当時の新聞には彼に関することは何も書かれていなかったので、彼の人相の特徴が当時 の新聞に出ていなかったのは明らかである。この事実を忘れないでください。

朝食の時、新聞を広げると事件発見当初の記事が載っていたので、私は非常に興味を持ち丁寧に記事を読んだ。私は三回とは言わないが二回は読んだ。殺害事件 は寝室で発見された、そして私が新聞を置いたとき、私にはある情景が見えた--一瞬--流れる--それを何と呼んでいいのか分からない--表現に足る言葉 がみつからない--その光景は流れる川面には一瞬にしか描くことができない絵のように、寝室の光景が私の部屋を通り抜けていくのが見えた気がした。ほんの 一瞬通過しただけだったがはっきり見えた。光景がとても鮮明だったので気持ちが落ち着き、ベッドには死体が無かったことをはっきり覚えていた。

私がこの奇妙な感覚を経験したのはロマンチックとはほど遠いセント・ジェームス通りの角のすぐそばのピカデリー大通りに面したある部屋の中だった。私に とってその感覚はまったく初めてのことだった。その時私は安楽椅子に座っていた。体が奇妙に痺れる妙な感覚がして、目の前の椅子が突然動き出した。(ただ しその椅子にはキャスターがついていたので動きやすかったことを書きとどめておく)(部屋には窓が二つあり、部屋は二階にあった)私はピカデリー通りで動 くものでも見て目を休めようと一方の窓の所に行った。明るい秋の朝で、通りはキラキラ輝き活気があった。風が強く吹いていた。私が外を見ると、突然風が強 く吹き公園から大量の落ち葉が飛ばされて、渦を巻き竜巻のようなつむじ風が見えた。つむじ風がおさまり落ち葉が散らばった時、私は通りの向こう側を西から 東に歩く二人の男を見た。二人は前後に歩いていた。前を歩く男はしばしば肩越しに後ろを振り返った。後ろの男は30歩くらい離れて、威嚇するように右手を 挙げて後をつけていた。はじめ、あれほど人通りが多い処で、私はあのような異様な威嚇行為が続けられていることが気になった。さらに、通りの人は誰もその 二人に気づいていないという驚くべき状況に私は気づいた。男は二人とも、歩道を異様なほど滑らかに歩き、大勢の通行人をすり抜けて歩いていた。そして、私 が見る限り、誰も彼らに道を譲ることもなく触れることもなく振り返ることもなかった。私の立つ窓の前を通るとき、二人は私をじっと見上げた。彼ら二人の顔 がはっきり見えたので、何処で彼らを見ても彼らだと分かる気がした。前を歩いていた男はひどく不機嫌な顔をしていたことや、後を歩いていた男の顔色が汚い ワックス色であったこと以外、私は意識して二人の顔の特徴を記憶しようとしなかった。

私は独身なので、私の身の回りの世話は召使夫婦がすべて見てくれる。私の職場はある銀行の支店で、課長の仕事が忙しいので、世間一般が思うくらい楽であっ てほしいと思っている。その秋私は仕事の都合でロンドンに留まった。その時私は転地療養が必要なほど体調が悪かった。私は病気というほど悪くはなかったが 体調は良くなかった。読者は、私が単調な生活でうつ状態で「軽い消化不良」だったことから、あきらかに私が精神的にまいっているのを分かってほしい。当時 の私の健康状態は実際はそれほど悪くなかったことを、私の有名なかかりつけの医師が保証している。これは私の依頼で医師が書いてくれた返事の内容から判断 した。

殺人事件の経緯がだんだん明らかになるにつれ、人々の関心はどんどん高まっていった。世間の人々が事件に夢中になっている最中でも、私は事件の経緯を知ろ うしないで可能な限り忘れようとした。しかしその容疑者への殺人事件の裁判が起こされ、彼が裁判のためにニューゲイト牢獄に送られたのを知っていた。世間 の犯人への敵対感情であったり弁護側の準備不足などで、彼の裁判が中央刑事裁判所の一期分以上延期されていることも私は知っていた。延期になった彼の裁判 が何時もしくはいつ頃開かれるのか、私はもっと詳しく知っていてもよかったろうが、私は知らない方がいいと思っている。

私の居間と寝室と化粧室は全て同じ階にある。化粧室は寝室以外には通じていない。化粧室の中には一つのドアがあり、事実以前は階段に通じていた。しかし浴 槽の備品の一部が--何年間も--ドアにぴったりついて固定されていた。と同時に、その同じ設備の一部として--そのドアは釘づけされカンバス布で覆われ ていた。

ある夜遅く、召使が眠る前に私は彼にいくつか指示し寝室の中で立っていた。私の顔は化粧室に通じる唯一使えるドアに向いていて、そのドアは閉まっていた。 私の召使いはそのドアを背にしていた。私が彼と話をしている間、ドアが開き一人の男がのぞき込むのを見た。その男は熱心に怪しげに私に手招きをした。その 男はピカデリー通りを歩いていた二人組のうち後から追いかけていた二番目の男で、彼の顔は汚れたワックスのように悪い顔色だった。

手招きをした男は後ずさりしてドアを閉めた。すぐに私は寝室を横切り化粧室のドアを開け中を覗いた。私はすでに明かりのついたろうそくを持っていたのだ。私は化粧室の中にその男は居ないと思っていたとおり、やはり中には男の姿はなかった。

驚いて立ち止まっている召使に気づいて私は彼の方に振り返って言った、「デリック、君は信じられるかい、僕は正気なんだ、僕には見えた気がした、死体が --」私は手を彼の胸にあてたので、彼はびっくりして激しく震えながら「ご主人様、その通りでございます!死んだ男が手招きしていた!」と言った。今思え ば、二十年以上もの間私に仕えてきた、私が信頼し馴染んでいる召使いのジョーン・デリックは、私が彼に触れるまで、あの死んだ男の姿など全く見ていないと 私は思った。私が彼に触れたとき彼の気持ちが驚くほど変わったことから、その瞬間彼は何か超自然的な力で私の気持ちをくみ取ったと確かに思った。私は ジョーン・デリックにブランディーをいくらか持ってくるよう言いつけた、彼に一口与えてから一人でブランディーを楽しんで飲んだ。あの夜の出来事より以前 に起きたことを私は彼にひとことも言わなかった。その時のことをよく考えてみると、私はあの男の顔をピカデリー通りで一度見たきりで、間違いなく今まで見 た覚えが全くないと思った。ドアのところで手招きした時の表情と、私が窓の所に立った時に私を見上げた時の表情を比較してみると、一回目は私にしっかり覚 えてもらおうとし、二回目は確実にすぐに思い出せるようにしたかったのだと結論した。

説明は難しいが、私はその男が戻ってこないと確信していたが、その夜の私は快適な気分ではなかった。ジョーン・デリックが手に一枚の紙きれを持って私の ベッドサイドに来て私を起こしてから寝付けず、ようやく夜明けになって深い眠りについた。どうもこの紙切れが、ドアのところで、この紙を持ってきた者と私 の召使いとの間で起きた言い争いの原因らしかった。それはロンドンのオールド・ベイリー裁判所の中央刑事裁判の次の会期に陪審員として私が出席する召喚状 だった。ジョーン・デリックは、私がそのようなレベルの陪審員に呼び出されたことなど今までなかったことを充分知っていた。--理由が有ったのか無かった のか、この時私はよく分からなかったが--彼はそんな陪審員に選ばれる階級は習慣的に私よりも下の地位の人たちだと信じていたので、彼は召喚状の受け取り を初めから拒んだ。召喚状を持ってきた男は非常に冷ややかな態度だった。その男は、私が出席しようがしまいが自分には関係がないと言った。有るのは召喚状 で、私がそれに応じるか応じないかは私の自己責任であり、彼ではない。

一日二日の間私はこの呼び出しに応じるか無視するか決めかねていた。いずれにせよ、私には少しばかりの謎めいた先入観も影響力も魅力も意識しなかった。そ のことに関しては、私が今まで述べてきたどの話と同じように本当の話である。遂に、私の単調な退屈な生活を打ち破るつもりで出席することに決めた。

約束の朝は11月のうすら寒い朝だった。ピカデリー通りは濃い茶色の霧がたちこめ、どんどん暗くなり、遂には息詰まるような(中央刑事裁判所のある)テン プル・バーの東部の気候のようになった。私は、裁判所の建物の廊下と階段が燃え盛るガス灯に照らされ、法廷そのものも同様に照らされていることに気付い た。私は裁判所の職員に古い法廷の中に案内され、その中が大勢の人で埋め尽くされているのを見るまで、その殺人犯がその日裁判にかけられるのを知らなかっ たと思う。私は非常に苦労しながらこの古い法廷に入れてもらうまで、召喚状だけで私はどちらの法廷に入って座ればいいのか分からなかったと思う。しかし、 いずれの場合でも私が完全には納得しないという理由で、このことを正しい判断だと受け取られてはいけない。私は陪審用に割り当てられた私の席に座り、私は 法廷内に重苦しくもうもうと立ち込める埃や息を通して、法廷内をできるだけしっかり見回した。

黒く憂鬱な雰囲気が大きな窓の外の陰気なカーテンのように垂れているのに気づき、通りに撒かれた藁やなめし皮の上を車輪が通る時のように音がもみ消されて いるのに気づいた。そこに集まった人々が出す金切り声や他よりも大きな歌声や叫び声などのうるさい音も時折聞こえた。その後しばらくすると二人の裁判官が 入廷し着席した。法廷内のざわつきは畏怖の念で静かになった。殺人犯は被告席に置くよう指示された。彼はそこに現れた。そしてその瞬間、私は彼をピカデ リー通りを歩いていた二人のうちの初めの方の男だと分かった。

そのとき、もし私の名前が呼ばれたら、私ははっきり返事ができたかどうか疑わしい。しかし陪審員名簿のだいたい6番目か8番目に私の名前が呼ばれ、その時 には「ここにいます!」と答えることができた。さあ、見なさい。私が陪審席に着いたとき、注意を払って見ていたが格別関心を示す風もなかったその刑事被告 人が、激しく心を取り乱し彼の弁護士に合図した。
刑事被告人が私を明らかに嫌がっていたので、その弁護人(士)が被告席に手を置きながら被告人に囁き頭を振る間、少し中断した。後になって私はその紳士 (弁護人)から、彼(弁護人)に刑事被告人が話した驚くべき言葉を聞いた。「何が何でもあの男は止めてくれ!」しかし、彼はその理由を言わなかったし、彼 が私の名前が呼ばれて私が現れるまで私の名前を知らなかったことを認めたので、かれの希望は通らなかった。私がすでに説明したように、私がその殺人者に関 する体に悪い記憶を思い出したくないのと、私の話には彼の長い裁判の詳細記録は全然必要がないという理由で、陪審員として我々お互いが集められた十日十夜 の間に起きた、私自身が直接経験した奇妙で個人的な出来事として私はきっちり限定しておきたい。私が読者の興味を引きたいのはその出来事であり殺人者では ない。私が注意をお願いするはそのことでありニューゲート監獄一覧の一ページではない。

私は陪審員長に選ばれた。

裁判の二日目、二時間(私は教会の時計が鳴るのを聞いた)証言が行われた後、ふと同僚の陪審員たちをみて、彼らの人数を数えてみるとなぜかうまく数えられなかった。私は何度も数えたが、いつも同じ間違いをした。つまり、数えると一人多かった。

私は隣にいる陪審員に合図して「どうか、私たちの人数を数えてください」と囁いた。彼は私の願いに驚いたようだが、首を回して数えた。「なぜだ」と彼は言い、突然「私たちは13・・・、いや違う、そんなことは無い。人数は。私たちは12人だ」

その日私が数えてみると、一人一人きちんと数えてみるといつも正しかったが、一まとまりで数えてみるといつも一人多かった。それを説明する幽霊も--見えない姿--なかった。しかし私はその時その姿が間違いなく現れるだろうと霊的な予感がした。

陪審員はロンドン・ターバンに宿泊させられた。私たちは全員同じ大きな部屋の中で別々に台の上で眠り、私たちは常に保護され、私たちの安全を守る役人の監 視下にあった。その役人の名前を公表しない理由はない。彼は教養があり、非常に礼儀正しく、面倒見がよく、そしてシティーでとても尊敬さている(のを聞い て私は嬉しく思った)。彼は感じの良い容姿で、善良な目で、羨ましい程の黒い頬髯で、素晴らしくよく響く声だった。彼の名前はハーカーといった。

夜になり、私たちが12台のベッドの中にもぐり込んだとき、ハーカー氏はベッドをドアを塞ぐように横付けにした。二日目の夜、横になりたくなかったし、 ハーカー氏がベッドの上に座っているのを見て、私は彼に近づき隣に座りひとつまみの嗅ぎタバコをすすめた。私が持っている嗅ぎタバコの箱からタバコを取り 出すときハーカー氏の手が私の手に触れた瞬間、変な痺れが彼の体を通り抜けた。そして彼は「これは誰だ」言った。

彼の視線を追い部屋の中を見ると、私は予想通り--ピカデリー通りを歩いていた二人の男の二番目の男の--姿を再び見た。私は起き上がって数歩進んで立ち 止まり、振り返ってハーカー氏を見た。彼は全く平気な様子で笑った、そして面白そうに「私は一瞬、ベッドが一台足りず、陪審員が13人いると思った。しか し月の光のせいでそう見える」と言った。

ハーカー氏には訳を話さず、私は彼を連れて部屋の端まで歩き、私はその男が何をするのか見た。その男は、枕のすぐそばで私の仲間の11人の陪審員ひとりひ とりの傍らで一寸立ち止まった。その男はいつもベッドの右手側に行き、そしていつも次のベッドの足側を横切っていった。頭の動かし方をみると、横たわって いる一人一人を悲しそうに覗き込んでいるように見えた。その男は私にもハーカー氏のベッドに一番近い私のベッドにも注意を払わなかった。その男は、高い窓 から差し込む月の光を空中に漂う一条の階段のように上って出て行くように見えた。

翌日の朝食の時、私とハーカー氏を除いて、そこにいた全員が昨夜殺人犯の夢を見たことが分かった。

彼が直接現れたことで私が理解できたように、ピカデリー通りを歩いていた二人の男の二番目の男が(いわゆる)殺害された男だと今確信できた気がした。しかしこの事件が起きてさえ、ある意味では私は心の準備を全くしていなかった。

裁判の五日目、起訴側の陳述が終わりにさしかかった時、--行為の発見(殺害死体)が寝室から消え、その後殺害死体が隠れ家で偶然発見された--殺害死体の精密画(肖像画)が証拠として提出された。
審議中の証人によって同じ人物だと確認されたので、精密画は裁判官席に上げられ、次に陪審員が目を通すために下ろされた。黒いガウンを羽織った役人がそれ を持って(法廷内を)横切って私に向かって来た時、ピカデリー通りを歩いていた二番目の男が傍聴人の中からすごい勢いで飛び出て来て、役人から精密画を取 り上げ彼の手で私に手渡した。と同時に低く力のない声で--私がロケットの中の精密画を見る前に--「私はそのときは今より若かった、そして当時の私は血 が流れ出たあとのような(悪い)顔色ではなかった」と言った。その男は私と私が精密画を渡す次の陪審員との間に入り、さらにその陪審員と次の陪審員との間 にも入ってきた。そしてそのように我々すべての陪審員の間に入ったあと、精密は私の所に戻ってきた。しかし、陪審員は誰もこのことに気付かなかった。

テーブルを囲んで、ハーカー氏の監視下でお互いに部屋に閉じ込められているときはたいてい、私たちは初日から自然とその日にあった多くの議事について話し 合った。裁判の五日目、 起訴側の陳述が終わり、起訴内容の疑問点がはっきりと私たちに提示されたので、私たちはより活発に真剣に議論した。私たちの中にひとりの教区会員がいた、 --私は今までにこれほど愚鈍なバカ者を見たことがない--彼は最も馬鹿げた反対意見で最も明白な証拠に反論し、ぶよぶよした体つきをした教区会員には二 人の媚びへつらい者が味方した。その三人は全員、500件の殺人事件で彼ら自身が関わった裁判なら当然熱狂的になったであろうと思われる地区から正式に選 ばれ陪審員名簿に載せられていた。私たちの何人かはすでに寝支度にあったというのに、このどうしようもない大バカ者どもが大声で騒いだ真夜中ちかくに、私 は再び殺された男を見た。彼はっ険しい顔つきで彼らの後ろに立って私を手招きをした。私が彼らに近づき会話に加わると彼は直ぐ居なくなった。私たちが閉じ 込められている長い部屋に限って、彼は何度も姿を見せ始めた。私たち陪審員が集まってお互いに話し合っているときはいつも、陪審員たちの間に殺された男の 顔が見えた。陪審員たちがノートを比べて殺された彼が不利になりそうなときはいつも、彼は真剣な顔つきになり我慢しきれず私を手招きした。

裁判の五日目に精密画が提出されるまでは、私は一度も彼を法廷内で見なかったことは忘れられないだろう。私たちが弁護側の陳述に移ったとき三つの変化が起 きた。そのうち二つを私は併せて話そう、まず最初は。その男はいつも法廷内にいた、そして彼はそこでは決して私に話しかけることはなかったが、いつもその 時喋っている人に話しかけていた。たとえば、殺された男の咽は真横に切られていた。弁護士が冒頭弁論で、その死体は自分で咽を切ったのではないかと言った その瞬間、物凄くひどい傷の状態(その傷は以前は隠していたのだが)の咽をしたその男は、横に切るしぐさや気管を横に切るしぐさを見せ、右手や左手を出し 自殺ではどちらの手を使ってもそのような傷をつけることは不可能だと、弁護士のすぐ横で必死に弁護士に訴えるように立っていた。もう一つの例では、人物証 人として、一人の女性がその刑事被告人を人間として最も心優しいと宣誓した。その瞬間、その男は彼女の前の床に立ち、彼女の顔を真正面に見ながら腕を伸ば し指を一本伸ばしてその刑事被告人の凶悪な顔を指さした。

今追加する三つ目の変化は、とりわけ最も目立つ驚くべき事実として私は覚えている。私はその事については理論分析をしない。私はその事を正確に述べること にし、その事をそのままにしておく。その姿は話しかけた相手には見えなかったが、その姿が話しかけた人たちに近づくと、その人たちはいつもなぜかぶるぶる 震えたり不安を感じたりした。不思議な力で、まるで幽霊が他人に幽霊自身の姿をはっきり見せるのを邪魔するかのように、しかもなお幽霊は姿を見せず音もな く彼らの気持ちを暗く曇らせているように私には思えた。弁護側の主任弁護士が自殺説を唱えたとき、幽霊は咽を見せて激しくのこぎりを引く仕種をしながら、 幽霊は弁護士のすぐ横に立った。弁護士はしどろもどろになり、数秒間弁護士はしどろもどろの口調になり、ハンカチで額の汗を拭き、ひどく顔色が悪くなって しまった。人物証人が幽霊に目の前に立たれたとき、彼女の眼は確実に幽霊が指示した方向を向き、非常にためらい困ったようすで刑事被告人の顔を見続けた。 さらに二つの例を話せば十分だろう。裁判の八日目、毎日午後早く休憩と食事のために与えられる数分間の休み時間の後、私は裁判官が戻るすこし前にほかの陪 審員たちと一緒に法廷内に戻った。陪審員席に立って私は周りを見回し傍聴席をふと見上げて、幽霊が裁判官たちが着席しているかどうかを確かめるように体を 前方に折り曲げて、とても上品な夫人に寄りかかっているのを見るまで、私は幽霊はいないと思った。そのすぐあと、その夫人は悲鳴を上げて気を失い法廷から 運び出された。この裁判を仕切っている尊敬に値する賢く忍耐強い裁判長も同じだった。弁論が終わり、裁判長が落ち着いて事件の要点をまとめるために書類を 準備をしたとき、幽霊が裁判官が出入りするドアから入ってきて、裁判長の机に近づき、裁判長がめくるページを肩越しに熱心にのぞき込んだ。裁判長の顔に変 化が起きた。彼の手は止まり、私が良く知っているあの特別な痺れが裁判長の体の中を通り抜けた。彼は口ごもりながら「失礼、みなさん、少しお待ちくださ い。私は空気が汚れたせいか少々息苦しい」と言った。そしてコップ一杯の水を飲むまで回復しなかった。

あの長ったらしい10日間のうち、単調な全6日間、--裁判官席には同じ裁判官とそのほかの裁判官が、被告人席には同じ殺人犯が、テーブルには同じ弁護士 が、同じ調子の答弁が法廷の天井にまで響き、裁判官がペンを走らせるカサカサ鳴る音も同じで、出入りする法廷の案内人も同じで、日中の自然光があるときで も同じ時刻に同じ明かりが点けられ、霧の日には大きな窓の外には同じように霧のカーテン、雨の日は同じように雨がパチャパチャポタポタ降り、同じおがくず の上には来る日も来る日も看守と懲役の同じ足跡が、同じ鍵で同じ重い扉を開けたり閉めたりする--泣きたくなるくらい長い間、まるで私が陪審員長をしてい たような気がした、全てのうんざりするような単調な日々を通して、 ピカデリー通りがバビロンと同じくらい賑やかで、私の眼にはその殺された男の姿ははっきり見え、そして彼はどんな時も他の人間と同じように見えた。私が殺 人被害者と称した「幽霊」が殺人犯を見るのを、一度も見な無かった事実を私は省略してはいけない。繰り返し繰り返し私は「なぜ彼は見なかったのか」と不思 議に思った。しかし彼は見なかったのだ。

精密画が提出され、結審が近づいて議事録が到着するまで、彼は私を見なかった。夜10時7分前に、私たちはしっかり考えるために退席した。あのバカな教区 員と二人の教区のへつらい者が私たちにとても迷惑をかけるので、私たちは二回法廷内に戻って、裁判長にノートの中から間違いのない部分の抜粋を読み直して もらった。私たち九人はあの論争に関してどんな小さな疑問を持たなかったし、法廷内のどの一人も同じ思いだったと私は信じている。あの大バカ者の三人組 は、何も考えず邪魔するだけで、ただそれだけの理由で激論した。ようやく私たちは三人を説き伏せ、ようやく陪審員は12時10分過ぎに法廷内に戻った。

その時、幽霊は法廷内の一方側の陪審員席の丁度真向かいに立っていた。私が席に着いたとき、かれは注意深く私を見た。彼は満足しているようで、初め彼が腕 にかけて持ってきた大きな灰色のベールをゆっくりうち振って自分の頭から全身にかけた。評決で私が「有罪」と判決を下したときベールは崩れ落ち、全て (ベールも彼も)消えてしまい彼の居たところには跡形もなかった。

慣例に従い死刑判決を下される前に、なにか言いたいことはあるかどうかと裁判長に質問されたとき、その殺人犯はぶつぶつと何か呟いた。翌日の主だった新聞 には次のように書かれていた。「漫然として、つじつまが合わず、よく聞き取れない言葉、”陪審員長が自分に対して反感を持っていたので、自分は公平な裁判 を受けられなかった”と不満を訴えた」。彼が実際にした特記すべき申し立ては以下のとおりであった。「裁判長閣下、陪審員陪審員席に入ってきたとき、私 は運が尽きたと思いました。裁判長閣下、彼が私を決して許さないと分かりました。というのは、私が逮捕される前に、なぜか夜中に彼は私のベッドの横に来て 私を起こし、私の首にロープをかけたからです」。